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【デザイナーとのコラボレーション企画】オフィスサニー × ナカダシロウ ~前編~

ara!kawa collaboration
「荒川企業 × デザイナー」

荒川のモノづくりにデザインの瑞々しい力を与え、次の可能性を生み出す。

挑戦、実験的なトライアルとして始動した「荒川企業×デザイナー」コラボレーションは、新型コロナウイルスにより多難な作業となりました。3企業、3人のデザイナーは、この1年、それぞれの立場で、コロナ禍の前に、活動自粛、事業苦難、企画変更などに遭遇。それでも粘り強く挑戦を続け、その成果と経過を、松屋銀座デザインギャラリー1953にて、令和3年2月24日から3月22日まで展示させていただきました。

ヒット商品への道筋は、常時でも、決して容易なものでもありません。鮮度、共感、驚きを目的地に、どこまでその可能性に迫ることができたのか。「ara!kawa」は、トライ&エラーを繰り返しながら、モノづくりの道をこれからもすすみます。



製品タイトルは、「スカストミエルカレンダー」見えているモノ、見えていないモノ。透明のインクがあると聞き、見えないものを印刷してみたいと思った。 人は、経験を裏切られたときに好奇心が高まる。紙を透かして見たとき、バーコ印刷の新たな魅力を感じた。見えないはずの、風、音、雨 … 今回、それらをバーコ印刷で表現。カレンダーに落とし込んでみた。
Design : shiro nakada + yukine matsukura, nako ishikawa ( SWU / nakada lab.)

(注)バーコ印刷 「バーコ印刷」は、アメリカで生まれた印刷技術。印字したインクの上に特殊な粉を振りかけて熱処理をし、その部分を盛り上げる。紙にデザイン性や高級感が生まれる。今回の展示でも「バーコ印刷」を 用いてオリジナル紙製品を製造している。


株式会社オフィスサニー
オフィスサニーは、特殊凹凸印刷技術「バーコ印刷」を得意とする小さな印刷会社。作業療法士と研究開発した子どもの読み書き向上に役立つ教材・教具、子ども発達支援教材ブランド「できるびより」の他、和柄の持つご利益や魅力を御朱印帳やブックカバーなどで表現した、オリジナル紙雑貨ブランド「plus Orange」が好評を得ている。「バーコ印刷」の技術を駆使し、商品企画 から開発・製造・販売まで一貫して手掛けている。

ナカダシロウ (SHIRO NAKADA)
東studio mebius 代表、昭和女子大学・環境デザイン学部准教授。Yohji Yamamoto、Franc franc、swatch、 DOLCE&GABBANA ほか多数のショップデザインを手掛ける。埼玉県飯能市で森林活用のプロジェクト「Ki&」を立ち上げている。
https://st-mebius.mystrikingly.com

 

 
髙橋淳一さん、晶子さんご夫妻。岩間の工場内にて。

オフィスサニー 髙橋淳一さん

【ロングインタビュー】
「バーコ印刷」を用いたオリジナル紙製品を企画・製造・販売しているオフィスサニーは、東日暮里のご夫婦が営む小さな印刷会社。印刷機の置いてある茨城県岩間の工場を訪ねて、話を伺った。
(インタビュー・文 山口ミルコ)

前編・後編の2回にわたってご紹介いたします。

社長の髙橋さんは、お客さんに「淳さん」の愛称で
親しまれておられるということなので、淳さんとお呼びしても?

淳一:はい、もちろんどうぞ。こちらは妻、晶子です。

では、きょうは髙橋ご夫妻一緒にお話を伺いますので、淳さん、晶子さん、で進めさせていただきます。
昭和41年創業のサニーさん、もとは写植屋さんだったそうですね?

淳一:ええ。父のやっていた写植屋を継いだのですが、すでに斜陽産業で・・・。

いま、「写植屋さん」と言ってすぐにピンとくる人は、あまりいないかもしれませんね。私は出版社で20年編集者をやっていたので、平成元年に入った最初の編集部では写植屋さんに出入りしていました。編集者の取った原稿は、写植屋さんとデザイン事務所、そして印刷会社をグルグルとめぐったのちに、雑誌や本になっていくのです。やがて印刷物のデジタル化がすすんで、写植屋さんにはいつしか行かなくなりました。

淳一:そうですよね。ただうちの場合は、業界全体の縮小で仕事が減っていただけでなく、親が大きな借金を作っていたんです。あるときそれが発覚して、ものすごくびっくりして・・・

え、いつごろに?

淳一:・・・20年くらい前ですかね、2000年ごろ。父が健在で写植屋をやっていたときはぼくもまだ平々凡々と父の下で仕事しながら生活していたんですけど、あるとき給料が出てこなくなったんです。 なんかこれは金がらみでトラブルか?・・・と、うすうす感じていたんだけど、よく調べてみたら出てくる出てくる、いまでいうサラ金からの督促状が。こりゃたいへんだーと思って。 おやじは、ぼくが中一のときにすごく大きな交通事故に遭って、あたま打っちゃって。写植の作業って細かいじゃないですか、それで仕事ができなくなっちゃったの。おやじの妻、つまりぼくの母親は事故が起きるまで銀行に行ったことがないような人で、 おやじからお金をもらって生活していたのに、人生が一変してしまったんですね。お金のこと、ぜんぶ自分でやらなきゃいけなくなって。

それはたいへんなことに・・・
事故のとき、お父さんはおいくつだったんですか?

淳一:47とか・・・そのくらいですね。高次脳機能障害といって、頭部にものすごい衝撃を受けたことによって、性格が変わっちゃったりするんですよ。 信じられないことだけど。たとえば、いきなり近所の八百屋さんと仲良くなって、そこのイチゴを買って自分のクルマで売りに行っちゃったり。

自分の仕事だと思い込んでしまう・・・
ということなんですね?
八百屋さんを自分の仕事だと。

淳一:そう。おかしいから。もうほんとに困っちゃっていろんな人に相談するんだけど、それこそ精神科へ行っても「交通事故くらいでそんなになるわけない」と、ぜんぜんわかってもらえなくて。だから母も苦労したのです。当時うちにも何人か社員さんがいたので、従業員の給料や仕入れのお金など、何かとかかります。で、手っ取り早くお金借りられるのが、キャッシングだった。いつのまにかぼくの知らないカードがいっぱい作られていて、キャッシングされていた。 それで、おやじにはとりあえず仕事をしりぞいてもらって、ぼくら夫婦二人で300 万円出し合って、有限会社オフィスサニーを立ち上げたのです。

そのころすでに、ご結婚されていたのですね。

淳一:ぼくら、幼なじみなんですよ。25で結婚したんですけど、二人とも荒川区東日暮里四丁目出身で、ぼくは第三日暮里小学校の出身。こちらは隣の区、台東区の根岸小学校出身。うちの子どもたちは ― 3人いるんですが、みんな第三日暮里小学校の卒業生。ぼくのおばあちゃんは第一回卒業生で、この人のおばあちゃんは第三回卒業生・・・って、とにかくうちの家族はみんなずーっと地元にいる。

   

 
掃除を終えて、印刷をはじめるときは、
インクと浸し水を用意します。
まず、缶の中で固まっているインクをよく練り、
練ったインクを機械の中へ。

晶子:私は大学の4年間だけ、イギリスで過ごしました。で、帰ってきて旅行会社に勤めていたんですけど、この人と再会して結婚・・・再会といっても、近所ですからね、小さいころから知ってる。

淳一:でも、お父さんに大反対されてね。「イギリスの大学に行かせてるのに、なんでお前と結婚させなきゃいけないんだ」って。

ああ・・・そう言われちゃうかも、ですね。
淳さんのおうちは写植屋さんなわけですから、
結婚したらそのお仕事に入るってことですものね。

淳一:反対されてムキになったっていうのはあります。「大人になった髙橋君は知らないから」なんて言われちゃって。だから結婚を申し込んでから毎日ずっと、仕事終わったあとこの人の実家に通ったの。「知らない」って言われたから、じゃあ知ってもらおうと思って(笑)。

で、お許しがでた?

淳一:いや、もう許してもらわなくていいかなーと。 一年間くらい通ったんですけど。 そもそも、この人は家がいやだったんですよ。でしょ?

晶子:それもありましたね、留学の理由には。いまはもうだいじょうぶなんですけど、若い頃は、家がいやだったのです。うちの父も自営業で、非鉄金属卸売商という仕事で財をなした人。それでまあ厳しかったのもありますし。だからお商売しているおうちへ嫁に行くとはどういうことか、は分かっていた のです。やっぱり手伝うのかなと思ってはいましたが、いつのまにか印刷機まわしていましたね(笑)。

だんなさんの仕事を見ながら、だんだん楽しくなっていくわけですね?

晶子:意外と、はまったんですね、ものをつくる仕事に。つくることがどんどん面白くなって。どちらかといえば職人気質はこの人より私のほうが・・・ あるのかもしれません。

 



機械の上の青いボトルには水が入っています。
インクをのせてから水を入れていきます。

晶子さんがものづくりに励まれるプロセスの出発地点に、会社としての職種転換があったのですね。
印刷業をスタートされる時期まで、ちょっと時間を巻き戻します。
借金漬けだったサニー写植を、お二人でお金を出して新しくオフィスサニーとして再出発させることになったと。

淳一:はい。で、写植屋から事業を転換していくなかで、「電話の回線を一本増やしたい」と思ったんですよね。

当時たいへんでしたよね? 電話引くの。
権利を買わなきゃならなかったですよね。

淳一:そうなんですけど・・・新しい会社として出直すんだから、どうしても新しい番号が要る!と思い込んじゃってますから。ところが、NTTに行ったら「増やせません」と言うんです。「どうしてかは言えません、教えられません」の一点張り。え?なんで?とぼくがしつこく問い詰めると、「お父様が契約者ですから、お父さんから委任状をもらってください」。で、委任状を用意して持っていったら、じつは税務署から電話の権利を差し押さえられている、ということがわかった。だからこの差し押さえが解除されないかぎり、何もできませんよ、と。しょうがない、で今度は税務署に行くんですね。そこでまた同じように「教えられない」と言われて・・・とまあそんなことがあって、結論から言うと980万くらいあったんです、滞納が。そのときの税務署の担当者が忘れもしない、髙橋さんって人で「一千万超えると国税に行っちゃう、どうにかしなきゃ、なんとかしなきゃ」と。 で、ぼくもバカだから、この期に及んでまだ「とりあえず電話一本増やしたい」というのにこだわって、「じゃどうすればいいんですか?」とねばったあげく、先付の小切手を一年分税務署に預けておいて、毎月必ず7万持ってきますっていう誓約書を交わして、電話の差し押さえだけ、解除してもらったんです。

じゃ、そうやって電話一本を引いたのが・・・サニーのはじまり?

淳一:そういうことになりますね。

いま会社の成り立ちのインタビューなんですけど、ここまでが壮絶ですね・・・。

淳一:あのころ30歳くらい? 税金のほかにもまだたくさんあったんですよ、借地だった地代を払ってなかったとか、とにかくいろいろ発覚して。

「ゼロからのスタート」とか言いますけど、サニーさんは「マイナスからのスタート」で、たいへんでしたね・・・二代目、三代目っていうとふつうは先代からいろんなものを引き継いで・・・

晶子:かなりのマイナス、からの出発でした。サラ金、税金、滞納の山・・・そんななか、私も最初は専業主婦だったんですけど、こうしちゃおれない、働ける大人は働け、となって。子どもたちも三人 ― 26の頃には一人目が生まれていたので、ずっと子育てが忙しかったんですけど、それこそときどき母に頼むとかして私も働こうと。派遣会社に登録して毎日フルタイムで働いた。それを私たちの生活費にして、会社のほうをとにかくなんとかしないと、写植をこのままやってくってもうむりがある、なんとかして新しいことを始めていかないと― というなかでの、選択でした。

なるほど・・・で、とにかく電話一本引いて、印刷屋さんとして再出発しました、と。最初の頃は、主に名刺印刷を請け負っておられたそうですね?

晶子:銀座のホステスさんの名刺の仕事をもってくるブローカーさん・・・って私たち呼んでるんですけど、そういう人からの依頼で、はじめは名刺の版下をつくる仕事をしていたんですね、写植屋だったから。そのホステスさんって本日入店、今晩もうお店に出るって人たちだから、名刺も急ぎで要るのですよ。

人の出入りの激しい業界ですしね。しかもホステスさんの名刺って、ちょっと書体やデザインが凝っていたりしますものね。

淳一:そうなんです。はじめは版下だけうちで作って、そのブローカーさんに渡し、どこかの印刷屋さんで刷ってもらっていたんだけど、「うちがもし印刷機入れたら、印刷の仕事くれる?」って訊いたら、「そりゃーもう淳ちゃんがやってくれるんなら助かるよ」ってその人が言うので、「じゃあ、印刷機入れる」ってなった。そのブローカーさんがすっごいお天気な人で、ほんとうにつきあうのがたいへんだったんだけど、この人は仕事を持ってくるなーとふんで。そうは言っても借金の山ですから、銀行からは借りられない。リースで印刷機を入れました。200万くらいの機械、いま工場で使用しているみたいな便利なものではぜんぜんなくて。しかも写植屋からいきなり印刷屋になったので、なにもわかってないんですよ。印刷って水とインクを調整しながらやるのですが、その原理がまったくわかってないものだから、いくら印刷してもぜんぜんうまくいかない。たかが名刺を刷るのに何時間もかかっちゃって。で、それくらいから妻が本格的に手伝いはじめて・・・

晶子: 三人目をおぶいながら、印刷機をまわしていました。さっき言ったように銀座のホステスさんって今日入店、今晩もう名刺が必要なので、朝FAXが入って、「この書体で、この紙で刷って」という注文を受けて、その日の夕方にはブローカーさんが取りに来るのです。

淳一:朝からもうたいへんですよ。100枚を100人分、おもてうら。

 
印刷したものをチェック。
具合を見て、インクの濃さを調整します。
 

バーコ印刷機作動中。

後編に続く)

株式会社オフィスサニー

オフィスサニーは、特殊凹凸印刷技術「バーコ印刷」を得意とする小さな印刷会社です。作業療法士と研究開発した子どもの読み書き向上に役立つ教材・教具、子ども発達支援教材ブランド「できるびより」や、和柄の持つご利益や魅力を御朱印帳やブックカバーなどで表現した、オリジナル紙雑貨ブランド「plus Orange」が好評を得ています。「バーコ印刷」の技術を駆使し、商品企画 から開発・製造・販売まで一貫して手掛けています。

住所:〒116-0014 東京都荒川区東日暮里4-4-6
tel:03-3802-1900 fax:03-6800-2916

企業ホームページ: https://office-sunny.co.jp
できるびよりホームページ: https://dekirubiyori.com
plus Orangeホームページ: http://www.plus-orange.com/


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